気と呼吸の価値
気は生命エネルギーそのもの。それを自在に操れる人は極めて少ない。
高度な科学技術も医療技術といえども習えば誰にもできる。勿論、習得には多少の時間が掛かることはある。
しかし、気の技術は習ったところで誰にもできるものではない。我が子にすら伝達できない。それだからこそ並々ならぬ価値がある。
道場では気のエネルギーを気タッチなど他者との交流で味わえる。気を受けて、気で飛んだ人はみな心地よく笑顔になる。それは美味しいものを食べて笑顔になるのと同じ仕組み。
根源的なエネルギーは健康回復や身体能力発揮のベースになる。赤ちゃんは呼吸、お乳を吸う、眠る、手足をバタつかせる、排せつすることしか行わない。これらが根源的なエネルギーの循環をまかなう。
気のエネルギーを支えるのが緩めと呼吸法。こんな簡単なことであれほどの威力を有する気のエネルギーが出せるようになるとは思えない。だから誰もができるようにはならない。西野流呼吸法の道場でも、気を自在に操れるレベルに達した人は何万の塾生の中でわずか数名であろう。
しかし、西野先生が何かを隠しているわけではない。隠していたらできるようになる人はいない。つまり習っただけではできない。努力は当然に必要だが、さらに運がなくてはできない。私は呼吸法の稽古を一度たりとも休んだことはない。西野先生は5年間1日も休んでいないこと考えると、週に3度ほどの稽古を休まないくらいではまだ足りないと思った。それでさらに10年は頑張ろうと考えていた。
気を捉えられた今、習得のプロセスを振り返れば努力は当然として、運の良さが必要なことは間違いない。運とは、頭で考えて導けるものではない。運は損得計算とはまったく無縁のものであるから。








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