老子は唱えた、「(人為的なことを)為すこと無く自然であれ」。人間は自然の一部である。その自然を大切にせよ、という意味。
犬や猫などの動物は毎年一定の時期に子供を生む。放牧されている馬はほぼ同じ晩に出産する。鷹や鷲などの猛禽類は子育てをするのに都合がよい餌が取れることを逆算するように卵を産む。
毎月排卵のある人間は自然に支配されていないのだろうか。実は、人が生まれる月は7・8・9月が多く、1・2・3月は少ない。人が死ぬのは1・2・3月が多く、5~9月は少ない。これらは毎年ほぼ変わらない。一定の時期に繁殖や死亡が多いと分る。
婚姻届が多いのは3月・6月・10月。離婚届が多いのは3月・6月・9月。これらもほぼ毎年同じ。このような一見人為的なことすら決まった時期に行っている。つまり天体の位置に人間の行動は支配されている、と言える。
だから自然の与えてくれた力を生かすことが、生物としての人間がべき道である。これを老子はタオ=道と呼ぶ。道とは名付けることのできないものであり(仮に道と名付けているに過ぎない)、礼や義などを超越した真理とされる。天地一切を包含する宇宙自然、万物の終始に関わる道を天道といい、人間世界に関わる道を人道という。
今の時代、頭で考えて自然を止めてしまうことが多い。その一つが医療にある。タミフルというインフルエンザ予防ワクチンの摂取や過剰な清潔好きなどある。そのタミフルも英国の調査機関の発表で実効性がないことが明らかになった。何十億円ものお金をかけて備蓄した薬は無駄になる。風邪は水を飲んで寝て治すのが本来。現代人はあらゆるウィルスや細菌に打ち勝って生き延びた人間の子孫。だから過剰に心配する必要はない。人間は多少の雑菌と共に暮らすのが自然。
第二は、無駄な教育にある。天才水木しげるは、眠たさや食事を大切にするため学校には遅れて行った。それで算数などの授業は受けたことがなくテストは0点の連続であった。しかもガラクタや昆虫の収集と絵を描くことに力を注ぎ、その他は気にしなかった。しかし、そのお陰で文化功労賞まで手にした。無論、必要な計算も読書もできる。同じように天才赤塚不二夫も中卒で漫画を描いてすごした。手塚治虫と出会い、芸術や学問に目覚めて素晴らしい漫画を残した。数学も科学も相当な勉強をしたと分る作品。彼らに、親や教師が為す人為的な教育は無かったし必要も無かった。誰もが、自然の才能を伸ばせばよいと分る。
現代社会において脅しをかけるのは医者・学校・占い師・政府発表・常識という目に見えない圧力。占い師の圧力は、石原慎太郎都知事が美輪明宏に呪い殺すと脅されても生き延びたという事実によって回避された。佐野厄除け大師で大きな観音像が盗まれたことで現代の宗教はほぼ役立たないことが明らかになった。常識の危うさに警鐘を鳴らし、自然な力を発揮しようと唱える私は時々宗教だ、といわれることがある。それは佐野厄除け大師と同じ意味ならばちょっと心外。イエスや釈迦の残した真の宗教なら、誉め言葉と受け取りたい。
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